子離れという難題
子離れとはよく聞いていたが、こんなに身近に実感することがあるなんて考えていなかった。
だんだんと身長が伸びてきて、会話がお洒落のことなどだんだんとおませになってきたなと思った。
あと、10年もしたら嫁に行くのかなと思うと誰にに対するものではないが殺意が湧いてくる。
もちろん、孫のかをは見たいし娘のしあわせを願っていないわけではない。
結果として言えることは、置いてけぼりにされるのが怖く寂しいのだ。最近、義理の父に結婚の挨拶に行った時のことを思い出す。
義理の父に、お前にやるために命がけで育ててきたはけじゃないと言われた。そして、反対できない奴だから悔しいと・・・・・。
当時は、なんでこんなこと言うのかなとわかっていなかった。娘を持って、ちょっとだけ義理の父tの気持ちがわかってきたような気がする。
反対できない奴と評価していただいた事への、喜びもやっと出てきた。だいぶ遅い。親孝行もできないまま、他界されてしまった。
父親にとっては、どんなに時代が変わっても娘を嫁がせる日はXDAYなのだと思う。
避けては通れない、その日を迎えなくては幸せになれない。
どうか、娘よ。反対できない男を連れてこい。
矛盾しているが、どうせ反対したいのだけら。トドメはきっちり刺してほしい。
一人娘である。19代続いた我が家も娘が嫁に行けば途絶えてします。
最近、急にそんなことを考えることが多い。
単身赴任の身の上で6年間、娘の成長についていけない父親の情けない愚痴である。
娘が寝ている。穏やかな寝顔お見ていて、少しセンチになっていた。
娘よ。彼氏を連れてくる時は3回はごねるからな。
大目に見てくれ。
気弱なパパより。
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